嗜好の深み〜「babi-yarの珈琲三昧」/深水遊脚
 
ではないかと気づきました。

 ブログのなかに「NGワード」という記事があります。珈琲の味は生豆で大部分決まってしまうと、コーヒー豆を焙煎するプロが口にすることを戒めたものです。その記事の後半では客の嗜好を口にする(それを言い訳にする)ことも戒められています。そこでの考え方の核となっている「珈琲が美味いという感覚は経験によってしか作れない」という主張には、半分うなずけるのですが、半分は素直に納得できません。引用部分に全く異存は無いのですが、そこからの論理展開に少々無理があるような気がするのです。珈琲を美味と思ったことのない人に美味と感じさせてこそプロであるとする主張に、いつの間にかスライドして
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