萩尾望都私論その4 十年目のスペースストリート/佐々宝砂
 
があほだ。二歳のチャシーの方が考え深いくらいだ。フロルは女になっていないどころか、少女ですらない(少女というのはやはり「女」なのだから)。フロルは男でも女でもある完全体、しかし女でも男でもないお子ちゃまなのである。タダとフロルの楽しいスペースストリートは、時をとどめていない限り続かない。フロルが本当に女となることを選択したとき、彼等の生活は根本的な変化を余儀なくされる。

根本的な変化とはいかなるものか? 萩尾望都は、タダとフロルの物語としては、その変化について描かなかった。だが、しつこいようだが時は流れる。時が流れる限り、変化は訪れる。どのように?

『(タダとフロルの)スペースストリー
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