山田せばすちゃんショウ・・・何回目か忘れた(苦笑)「酷評の彼方に」/山田せばすちゃん
」の数は無限であるが、読者はその一回きりの体験としての「作品」を余すことなく堪能する義務がある、なんて考え方は、魅力的に聞こえないかい?(俺にはとっても魅力的なんだけどさ)
そんな風にして「作品」が作者と読者によるただ一度きりの共同作業の結果であるとしたならば、その「作品」が酷評されたときの責任も一方的に作者の側が負うべきものであるとはいえなくなるよね?だって共同作業の結果だもんね、「うちの子供が馬鹿で不細工なのはあんたのせいよ、」「いや、お前のせいだよ、」「いやいや二人の子供だもの、二人とも何かしら責任があるのよ、」なんてそう考えれば、酷評された時の落ち込みも今までの半分になる、とかそう都
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