誤読をどう受け止めるか(作者の死の憂鬱の中で)/kaz.
 
とはできない。」という今の発言は、一見すると作者の特権性、親権、父性を認めるものであるかのようだ。だがしかし、逆説的に、このことが作者の死を担保するのだ。作者の死の観念それ自体は、作者の存在を前提としなければならない。『死』は、今までのさばっていた特権性を打ち砕く形で、与えられたのであるからだ。

それにしても、私はこの読みを認めない、という異議申し立ては、失われることはないだろう。それが、誤読に対する異議申し立てである場合も、そうでないただの感情的な発言である場合も、やはり作者の特権性への主張に見えてしまうだろう。だが、作者の死を前提として考えるならば、このような異議申し立ても、解釈に対する
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