誤読をどう受け止めるか(作者の死の憂鬱の中で)/kaz.
する解釈として、つまりレスポンスの読者のものと解されてしまうのだ。
この『解されてしまう』という強制力が、作者の死の観念にはある。作者の死の観念は、決して作者の感情的な反論を認めないものではないのだ。反論は認めるが、それは作者としてではなく、読者のものとしてなのだ。無責任な解釈を正当化したり、誤読を指摘されたことを認めようとしなかったりするのは、読者の態度ではない。
もちろん作者は、それを作ったということから、逃れることはできない一方で、自分の振る舞いが読者のものとして扱われるという、作者の失権を受け入れねばならない。この失権を受け入れることに、彼が作者たる所以が生まれる。失権は、もはや語る能力がない、ということを意味してはいないのだ。
戻る 編 削 Point(4)