詩作行為の倫理学/葉leaf
的を達成するためではなく、ただ理由も分からないまま特定のスタイルに従って詩を書くということは十分ありうる。例えば俳句を例にとってみよう。五七五のリズムで季語を入れるというスタイルに従うことが、何らかの価値を実現するためであることをしっかりと認識している俳人はどれほどいるだろう。もっと大きなスケールの規範としては、日本語というものがある。詩人は詩を書くとき、日本語の語彙・文法という規範(社会的圧力の伴うスタイル)に従って書いているが、そのことの目的を自覚しているだろうか。何の疑いもなく日本語というスタイルで詩を書いているのではないか。では、現代詩内部でのスタイルはどうか。
素足の私は捩じれた
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