殺人の否定/salco
 
意識にはこれが常在しているのではないか
心理以前の肉塊として敢えて歯牙に差し出す「弱き自分」であり続けること
これも人間性の主柱だろう
「死刑にされたいから殺った」とうそぶく荒川沖駅殺傷事件の坊やは
これを自力で負えなかった
というよりも、無意識的にも自己保存を突き崩せなかったと言えまいか
不適合の劣等感にまみれる程度の絶望では普通、自殺できない
寧ろ彼は、社会的無能者としての自分に暫時優位をくれる捕食者の視野
その記憶が欲しかったのではないか
自己処刑の法的援助などその表彰状でしかない
仮想現実としか関係を結べぬ青年期が既に懲罰房だったのだから
実は「殺し勝った」という一時
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