「欲望と記憶、死と再生」のためのノート(批評祭乗りおくれ作品かもしれません)/N.K.
抗されたもの>は結局消費されるのみであることも容易に想像できると言わなければならない。戦後詩において戦争が抜き取られていくような過程を人は容易に指摘できるのではないだろうか。今回の震災においても類比はできてしまう。震災について一義的には真摯に扱ったものから、時を経て震災が抜き取られてしまうのではないか。要するに<拮抗させる>という方法自体が、問題にされる時なのだろうと思う。
<拮抗させる>以外の方法を求めなければならないように思う。震災を大文字のモチーフとして食いつくしてはならない。食いつくすことは、自分が空虚になる愚を再び犯すだけだ。自分にできることは、<全体>ということなど考えないことだ。
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