「欲望と記憶、死と再生」のためのノート(批評祭乗りおくれ作品かもしれません)/N.K.
しくはその代用物)となるしかなかった。いわば大文字のモチーフが成り立っていたのが、戦後詩であり、その後で詩を書こうとしている者にとっては、取るに足らない小さなモチーフしかないと思われるのが現状である。そうして、ことばはことばに内向していくことはある意味当然のことであったであろう。
その現状を根底からひっくり返すと思われるのが、今回の大震災だと思われる。おそらく大文字のモチーフとして共有されるものだろう。おそらく戦争体験に拮抗するものとしての地位を容易に獲得することができるだろう。(こう書いていることに、未だ辛さを感じていることは、書き留めておく。)
しかし、<拮抗させる>ことでは、<拮抗さ
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