接触への欲望、虚構による螺旋/葉leaf
 
かうとき、何かが螺旋状の移動をする。あるいは螺旋として作品の陰に定着する。
 引用部にあるように、父と母と「わたし」が皆老人で同じ老人ホームのバスに拾われていくということは通常ありえない。ここでは、本来異なる時点・地点にあるものが同じ時点・地点で共存するという虚構が作り出されているのだ。
 だから、「わたしが街角に立っている」に至った時点で、読者の認識は直進することをやめ、ねじれる、あるいは螺旋を描く。認識の切っ先は目指すべき定点を失い、螺旋を描きながらさまよい続け、いくつもの仮の定点を擦過する。また、読者の感情もまた、灰色の熱を得ると同時に、わずかに動揺し、認識の切っ先の運動に沿って螺旋を描
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