接触への欲望、虚構による螺旋/葉leaf
 
接触」と呼べるだけの関係の強度があるからだ。見る者は、見られる対象と強い関係を結ぶとき、見られる対象と「接触」する。

夏のあいだ毎日公園の木陰のベンチに座っていた老いたひとは
きょう日なたのベンチに移りました。
       (「秋へ」より)

 特に隠されていないことを認識するのは「接触」と呼ぶには弱い。だが認識者が、容易に認識されないことを認識するとき、認識者と世界との距離が縮まる。そのような認識は、相対的に「接触」と呼ぶにふさわしい。
 伊藤は物理的な接触だけを求めるのではなく、視覚や認識を介した接触をもすることで、接触への欲望を満足させ、世界のぬくもりに心地よく浸っている。
[次のページ]
戻る   Point(0)