接触への欲望、虚構による螺旋/葉leaf
る。
何物かと触れ合い、一致し、場合によっては同化する、そのような接触の快楽・安定を人間は欲する。伊藤の作品には、そのような接触への欲望が思いもかけず現れている。そして接触への欲望が詩行の内容を無意識的に導いている。伊藤は詩行において図らずも接触を実現させることで、接触への欲望を浄化しているのである。
あと四回この地の夕空を見たら
あと四回焼き付けたら
私は帰っていく
(「ピニョーロ通りの八百屋」より)
視覚の働きと視覚の対象との関係は、「接触」と呼ぶには弱すぎる。だが、見る者が記憶に焼き付けようと対象を凝視するとき、見る者と見られる対象は「接触」する。「接触
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