自殺志願/攝津正
 
ではない。だから、安楽死を合法化すべきだと思う。苦痛なく人に迷惑を掛けずに逝く方法を国民に保障すべきだと思う。それが人権ですらあると思う。最後の、究極的な人権。再生産の権利ではなく、端的な死滅の権利。それを求める必要があると思うが、死ぬ権利の要求は社会運動にはならない。社会運動は生きるべき人、生きたい人が担っているからだ。そうではない人は運動はできない。運動からも疎外されるよりほかない。何故なら運動とは社会を変革すべきものであり、変革された社会に生きたい人が担うべきものであるからだ。端的に死にたい人はそれに主体的に参加する権利がない。
 両親は私が小説を書いているというと、それだけで喜んでいる。
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