自殺志願/攝津正
否定する。神なり支配者から生かされているが故に、生きなければならない、という理屈を認めない。だから、生きる理由なり意味があるとすれば、それは自分なり顔の見える具体的な他人なりのためでなければならない。言い換えれば世俗的でなければならない。そう思う。例えば私は、年老いた両親が生きているから、死ねない。両親は私の唯一の生きる理由である。私には、両親が、いとおしい。だから私は生きている。だが、いずれ両親も死ぬだろう。そうすれば私には、生きる理由はなくなる。生存というこの不快な義務からも解放される! 遂に「あのこと」を実行できる日が来るのだ! 私はそれを待ち焦がれる。だが、両親の死を願うという意味ではない
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