自殺志願/攝津正
 
には基本的にできない。そのような技術を持っていない。だから、私の書くものからは描写が抜け落ちている。そのようなものを「小説」と呼ぶべきかどうかも勿論疑問である。前田さんが言うような、カキカキとしてとりあえずそれはある、と言うべきかもしれない。
 それはともかくとして、私は、今すぐ死ぬというわけではない。いつか死ぬというだけだ。当たり前だ、人間なのだから。私は自分の労働生活と療養生活における希望のなさを語り、生きられないことを静かに語る。叫ぶのではなく低い声で呟く。「生きられない」、これが私のテーマである。私は、NAMで、「絶望の教室」と呼ばれていた。十年経って、今もそうである、と思う。私は、自分
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