シコシコ/攝津正
 
なかった。それはよく分からぬ。
 攝津が自殺を願うのは、音楽の悪魔的な力に囚われたが故であった。十四歳の時に聴いたホロヴィッツの衝撃以来、自分の到達出来ぬ高みに音楽芸術があり、それに到達出来ぬ自分は死ぬべきだとの考えが頭を離れぬ。音楽を止めて、或いは趣味だけにして、普通に・平凡に暮らそうという考えは攝津には無かった。平凡を否定する事が逆に凡庸さの証であった。攝津は亜インテリであったのと同じく、似非芸術家、三流ピアニスト志望者でもあったのである。
 皆が皆、口を揃えて、文章でも音楽でも食ってはいけぬ、どちらかと言えば文章のほうがいい、音楽でというならピアノより三味線のほうがいい、と言った。だが攝
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