シコシコ/攝津正
 
れも限界に来ていた。精神的、肉体的、神経的限界。もう辞めねばならぬのか、と攝津は自問した。やはり一生の仕事にはならなかったか。良い職場なのに。福祉的な所なのに。去らねばならぬのか。辞めねばならぬのか。それ程に攝津の病気は酷いのか。病気、というより、ビョーキと言った方が良いかもしれぬ。音楽家にならねばならぬという固定観念。植え付けられた信念。音楽家になれねば死なねばならぬという命題が何処から来たのか、攝津にはよく分からなかった。親からか。そうかも知れぬ。CDからか。そうかも知れぬ。攝津は中学生の頃神経症を発症し、ホロヴィッツの芸術に衝撃を受ける迄は、自分の音楽に満足していた。その後、本物の音楽という
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