シコシコ/攝津正
いうのはそんなものではないのだという感を持ち、精進したが無駄だった。音大には入れず、攝津は早稲田大学に入った。嗚呼、しかしそこでもモダン・ジャズ研究会に入っていれば! また違った未来があったのかもしれなかった。だが、過去の過ちを幾ら悔いても時間は戻って来ない。五月に、攝津は三十五歳になる。三十五歳限界説というのが攝津の頭をかすめる。自分はその三十五歳だ。もう転職できぬのか。もうどうにもならぬのか。気持ばかりが焦るだけで、どうにもならなかった。
火曜日攝津は欠勤した。死にたい気持は無くならなかった。仕事も辞めたかった。だが、収入の道が無くなり借金が返せなくなると思うと、簡単に辞める訳にもいか
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