生きる/攝津正
喜劇的で滑稽な、しかし自分苦に囚われた者には真剣な運命。攝津は前田さんが居るからどうにか自分を支えていられる。前田さんが居なかったら、攝津の音楽家・哲学者・作家としての自負などとうに崩壊していただろう。何をしても褒めてくれる前田さんが居るから、攝津は自由に、例えばこの『生きる』を書いたりする事が出来るのである。しかしそれは本当は恐ろしい事なのだ、と攝津は考えた。自由の深淵。前田さんは攝津を自由にする。だが、自由になった攝津は、下らぬプライドを空回りさせ、芸術家振りたがる。本当は彼は、一労働者に過ぎぬのに。一倉庫内作業員でしかないのに。その端的で残酷な現実から目を逸らすのに、前田さんの存在は好都合で
[次のページ]
戻る 編 削 Point(1)