生きる/攝津正
。同情で動く人ではなかった。社会そのものの否定を通じて自己を屹立させる、そういう表現者だったのである。攝津は、極右思想を支持する訳では無かった。が、極右の頃の雨宮さんが人間の真実を体現していたと考える。だから、『生きさせろ!』以降の彼女がそれを失ったのを遺憾に思うのである。
三島由紀夫を読んだからこのように考えるのだろうか、と攝津は自省した。三島は表現から行動(決起)へ移行した。雨宮処凛は行動(決起)から表現へ移行した。二人は対照的である。雨宮さんが生の無条件肯定なら三島は死の無条件肯定だ。「生きさせろ」の裏面は「死なせろ」(その為の大義として「天皇」等が持ち出される)だ。だが、それらは表
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