生きる/攝津正
 
わり付いた。この出所の分からぬ不安は何だろうか? 自己嫌悪? 挫折感? 自分は無為無能だという感覚?

 日曜日、攝津は休日だったので、船橋市北図書館に行って本を借りてきた。帰り道、雨宮処凛の事を考えた。雨宮さんには小説家に、願わくば極右に戻って欲しい。何故なら人間の真実は、或いは美は、激越さ、又は痙攣の裡にしか無いからである。雨宮さんは、「新しい神様」から「プレカリアートのマリア」になった。その過程で失ったのは、実存の叫びであり、棘であり、否定性である。雨宮さんは現代日本社会を総体として否定するところから、表現者として自立した。彼女は人の良いヒューマニストではない、正確には、ではなかった。同
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