生きる/攝津正
 
という指摘も2ちゃんねるに転載されていた。攝津が削除したブログコメントである。そうなのかもしれぬ。しかし、攝津に会った事も無い者がどうして攝津が母子密着型だと見抜けたのだろう? 意味不明だな、と攝津は独り呟いた。
 2ちゃんねるには、この小説と称する物とブログ記述の差異が無いという指摘もあったが、全くその通りだった。「攝津」を「僕」なりに変えればブログになってしまう。内容、文体共に独創性を全く欠くのが攝津の根本的欠陥だった。

 その晩、攝津は一気に橋本治の『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(新潮社)を読了したが、不快と不安と深い深い抑鬱は去らなかった。のみならず生理感覚のように纏わり
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