生きる/攝津正
 
覚束無い。そう攝津は考えた。だが、それが今の三十四歳の自分だった。攝津は、三十四歳の自分の精神的、肉体的な醜さを自省した。昨晩浅田彰が書いたエッセイをウェブで読んだのだが、自分は他者の貧しい性愛を嗤えぬと思った。攝津自身、同性愛嫌悪を内面化していたし、貧しい性行為しか体験した事が無かったし、今後も豊かな性を享受出来る可能性は皆無だったからである。『禁色』を読みながら主人公の悠一や周りの少年らに嫉妬したが、彼らに嫉妬したところで始まらぬとも思った。
 攝津には性的な肉体的な魅力も、精神的な崇高さも欠けていた。攝津は醜悪な豚、ただそれだけだった。

 階下で父親がおーい、と呼ぶ。出てみると、郵便
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