生きる/攝津正
 
で、一切自己の主体性が無いという致命的な欠陥を脱せなかった。攝津は鎌田さんや西部さんが言う事を鸚鵡返しにするだけのロボットだった。自己が無い、これが攝津の宿痾だった。自分が無いから機械的に反復する事を繰り返す。他者から操られる。但し、暴走して壊れてしまうのは操作者の想定外だ。

 その日攝津は、三時間働いて正午、午前中上がりで帰って来た。昨日から引き続く疲弊が、限界に達した為であった。この日八時間肉体労働する事は不可能に感じられた。それで帰宅した。
 新浦安駅で武蔵野線の電車を待つが、三十分以上来なかった。それで橋本一子の『VIVANT』を聴きながら三島由紀夫の『禁色』を読んでいた。攝津は電
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