生きる/攝津正
れていた。他者を顧慮し、拝跪する──そういった姿勢に堪え難い窮屈さを感じた。だから攝津は転向したのである。自己本位へ。尤も自己本位と言っても漱石のような崇高な意味はありそうにもなかった。
攝津はその日も八時間肉体労働して帰って来た。途中早退したい気持になったが、あるやなしやの誇りが傷付けられるのを恐れて最後迄働いた。
自分が鎌田さんからの「寄稿要求」に応諾して下らぬ論文まがいの物を書いたのは間違いだった、と攝津は考えた。寄稿要求への応諾は、下らぬ虚栄心と俗物根性からに過ぎなかった。『Q-NAM問題』連作を書いていた間も、攝津は依存先を柄谷さんや柳原さんから鎌田さんや西部さんに変えただけで、
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