生きる/攝津正
 
る訳だ。そのような自分、成熟した自分の方がかつての自分よりもあるべきNAMに相応しい、と攝津は感じていた。
 何よりも生活する事、労働する事が大事だ、と攝津は考えた。NAM「である」とは、生きる事の裡の微細な差異として顕れるように攝津には思われる。地域通貨の取引、交換のような小さな営為(例えばインターネットラジオをやるなど)の積み重ねがNAM「に成る」ように思われる。自ら創り出すべきNAMとは、一つの生き方、生きる流儀である。攝津はそう考えていた。攝津はNAM讃美ともNAM否定とも遠い場所に居た。十年前の楽しい経験を経験として織り込みつつ成長する自己があった。NAMは娯楽でもあったのである。その
[次のページ]
戻る   Point(1)