生きる/攝津正
 
「無意味」が顕になった、そう感じている。

 などと言いながら、攝津もNAMの再建を考えているのだった。ただ、再建されるのはかつてのNAMとは全く違った物でなければならぬとも感じていた。
 組織というより個人、自分が大事だった。自分がNAM的に、というかスピノザ的に、有能な身体を持つ者に成る事が重要に思えた。そういう意味で、かつて NAM会員だった自分より、今の自分の方がNAMに相応しい、と攝津は考えていた。柄谷行人は「手に職のある人」を求めていたが、攝津は倉庫内労働のベテランだし、運転免許を始め、簿記、パソコンなどの資格を取得しようと勉強している。少しでも有能な心身を構築しようとしている訳
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