生きる/攝津正
クトップのパソコンは故障してしまっていた。柳原さんからいただいたCD-Rが探せばあるかもしれなかったが、億劫が先に立った。それに、全ての過去ログの公開が望ましいのか、攝津にはかつての自分と違って確信が持てなくなっていた。攝津がかつてNAMの総括を求め全過去ログの公開を求めたのは、NAMの問題性を明らかにすべきという衝動があったからであった。しかしQの松原さんの動機はNAM批判ではなく、NAM懐古にあるように見える。NAMは懐古すべき物なのか? 攝津にはおおいに疑問だった。
攝津にはNAMの営為が無意味に感じられた。
自分や他の会員がやった全てが無価値に感じられた。
十年経って、その「無
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