生きる/攝津正
意味にして無価値なりという攝津哲学と生きる事は善いという小泉原理主義が何処で一致するのか、攝津自身にも不可解だったが、無意味にして無価値なる生存をそのようなものとしてそのまままるごと肯定するのだ、と攝津は考えていた。快楽は快楽として、苦痛は苦痛として肯定する事。それが自分の主義だ、と攝津は考えた。
(若干スタイル変更。主語をなるべく出さない方法を実験。)
復帰二日目にして、早くも疲れていた。肉体を使う倉庫内作業、疲弊する。勿論、承知の上である。住宅ローンと借金返済の為に、そして音楽(CDとライブ)の為に、金銭が必要だ、働かねばならぬ。
インターネットには真実を記すという愚直な信
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