生きる/攝津正
 
だった。攝津には聊かも芸術家らしい所は無かった。凡庸そのもの。誰とでも取り替え可能。攝津自身、その事を良く分かっていた。自分は誰でもいい、非正規労働者の one of them に過ぎぬ。その人生を受け容れよ! だが理性が肯う事に情念が反逆する。攝津の不適応の原因はそれだった。それ自身、よくありがちなありふれた事例に過ぎなかった。

 思い返してみると攝津がNAMに入会しようと思ったのは西部忠のLETS論を読んだからだった。よく分からないが、LETSは面白そう、楽しそうだと感じたのである。その感覚は今も変わらぬ。娯楽としてのLETS、というエッセイを書こうと思っている程だ。小市民(という言葉で
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