生きる/攝津正
 
両親からは経済観念が無いと烙印を押されてしまったが、それでは駄目だと思う。これからは生活に必要な現実感覚を持って生を営んでいかねば、と攝津は考えた。

 攝津は生存は無意味にして無価値なりという説を奉じていた。そしてそれを攝津哲学と称したが、独創的な説ではないのもよく承知していた。只攝津は、意味なり価値は人間が創っていくものだと考えていた。
 生きる事は善い、という考えは、小泉義之と彼に影響された左翼活動家集団の常套句だったが、攝津はそれを早速借用していた。生きる事は善い、良い言葉ではないか。確かに生きる事は、それ自体で、善いであろう。生存の目的は生存そのものに他なるまい。
 生存は無意味
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