荒地にて2/徐 悠史郎
 
私の読解に間違いがなければ、「詩人がほとんどの批評家を兼ねる」日本現代詩における批評の一般的状況――あまり好ましくない――を指している。自分もまた詩を書くということから来る手加減の入った手ぬるい鑑賞や称賛などは、詩という愛の蠢きにとっては毒にも薬にもならないし、逆に「それは愛のない、きわめて無機的な論理の展開か、さもなくば見かけだけ批評を装った芸談にすぎないだろう」。(…注2)
 「みずからは詩を書かない批評家たち」の「冷徹な手により袋が外部から切り裂かれる」ことがない限り、詩はその作者どうしが形成する小さなコミュニティ内部でのやり取りに終始奉仕することになり、今以上の広がりを持つことが困難にな
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