荒地にて2/徐 悠史郎
 
が作品と
   読者との望ましい関係であるとして、しかしこのとき、読者は批評家とイコールであ
   りうるか。愛と共犯のみでは批評は成立しないのではないか。批評のことばとして
   表出される場合、いかに熱っぽい愛を動機としていようと、批評は作品に対して、
   それぞれに真摯ではある詩人のモチーフをあっさりと裏切る読みを提示することに
   より、侵犯や抑圧をもたらさずにはいられない。侵犯や抑圧がまったくなければ、
   批評とは名ばかりで、たんなる称賛や鑑賞にすぎないものになってしまうからだ。(同)


 「たんなる称賛や鑑賞にすぎないもの」と遠まわしに言われているのは、私の
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