荒地にて2/徐 悠史郎
 
限り、荒地派の諸作品に見られた修辞上の共通性は、ときに党の「綱領」や「運動方針」と同じような断面を作品の中に曝すのだということを、見逃さない方がいい。いや、この位相においては、つまりほんとうに私が詩に接しているときには、その断面すら意識されない。詩というのは、それは人間がこさえたものには違いないのに、その中で当の人間がなにがしかの<判断>をするということができない。既に私は「荒地」に<派>という接尾辞を付けてさんざん書いているが、本来ひとりひとりが毎日をなまなましく生きている中での詩の営みの集合である「荒地」に対して、なんらかの白黒の判断を下し、<派>というくくりをすること自体がおかしい。ほんとう
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