荒地にて2/徐 悠史郎
ストにおいてではなく個人の身体感覚に求める動きになしくずし的に取って代わられたからかもしれない。あるいはそれは仮構された「擬似戦後意識」を活動の始発点に据えた荒地派そのものが当初から内包していた限界であったかもしれない。どちらにしても私には、ヴァーチャルな戦後を全身で生き抜き、それをある意味では最も人間的に体現しようとした鮎川信夫の中に、なぜだか、疲れ切った現在という<日本>を見るような気がするのである。
鮎川氏が浦安のディズニーランドを手放しで賞賛したということ、また彼が死んだのがスーパーマリオの裏技をやっている真っ最中だったという事実は、私には象徴的に感じられる。ぜんたい、鮎川信夫は作品の
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