荒地にて2/徐 悠史郎
 
、そのような読み方は非常に難しい(というよりもやったことがないのだから難しいともカンタンとも言い切れないのだが)、高度な感取力を必要とするのではないか。ひとつの作品を巡ってあれやこれやと考えていたとしても、「じゃ、もう一度読み返してみよう」と思って作品に接し直すとき、あたう限りまっさらな心的状況で作品を読み返そうとする。(…注1)
 この限りにおいては、例えば私がそのように<まっさら>に荒地派の作品に接しようとする場合、その作品の作者である「荒地」同人の「苦闘」や「深い格闘」などといったものは捨象されていて、視野に入ってこないのだということができる。そしてこの位相において詩を読み取ろうとする限り
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