荒地にて2/徐 悠史郎
取って現れた。そしてそれらの多彩さを包括し、統括する役回りを担いきったのが鮎川信夫であった。荒地派のマニフェストとして読まれている『Xへの献辞』は無署名だが、おそらく鮎川の手になるものであろうと北川氏は推察している。
いっぽう、荒地派のイデオローグとしての彼ではなく、一個人としての鮎川の詩のなかに、北川氏は「自己放棄が自己救済でもある回路を断ち切っている」という異常な、「独特」な形での「放棄の構造」を見出している。
自己放棄が自己救済に繋がらない――これはどういうことだろうか。鮎川信夫に関してはまた稿をあらためて書いてみたいという思いもあるが、ここで北川氏の論考を参考にして、少し私なりに書
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