荒地にて2/徐 悠史郎
 
であったと読み取ることができる。観念へ昇華していきつつもなお身体に傷痕を残す語彙を駆使し、同人において最も「荒地」的であったと称される田村隆一と、戦前〜戦中にかけてのさまざまな思索を経て「荒地」に到達し、荒地派の観念的な戦後意識の領野から「素手」で戦後という<生活>の現実への回帰を企図した黒田三郎の二者を荒地派の詩表現の両端と捉え、さらに戦後の絶望感からの救済に宗教的浄化のイメージを重ねた三好豊一郎、<死>と<やさしきもの>との狭間に詩の声を聴く北村太郎、そして戦時中、政策的プロパガンダに関与しながらも「荒地」に自らの表現の場を見出した木原孝一や中桐雅夫らの詩的営為が、そこに詩という表現の形を取っ
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