荒地にて2/徐 悠史郎
 
、一定の社会的融通性と一般性をも帯びるという所に、批評の意義というものが認められる。批評的観点からは作品対読者という単一の(そうはいいながらそれは時としてゆらぎを伴う)コンテクストから“詩”を一度引き剥がし、そこに別種の、複数の視点の照射を試みることによって、作品の新しい価値をそこに見出すということがある。そのうえで再び読者に戻された作品において、読む者はまた違うゆたかさを孕んだ共犯関係を築くこともできる。
 例えば北川透『荒地論』が示し得た戦後(詩)の<劇>は、戦中において政治的抑圧を受けたモダニズムの「全面的崩壊」と敗戦後のその厚顔無恥な蘇生という風景の中での「荒地」同人たちの苦闘の物語であ
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