荒地にて2/徐 悠史郎
 
ない衝動がそれでもなお断ち切り難いとき、それを放出するために、おそらく文芸人士は<批評>という方法を発明したのだろう。それは感動を押さえるがゆえに冷徹にならざるを得ず、しかも一旦そのやり方で始めてしまった以上後戻りもできず、その無感動路線を突っ走るほかなくなった、非情の文芸であろう。しかしながらこのように作品に正対する立場に立つことによってのみ明らかになるものが確かにあるということは、批評にとっての名誉だ。(…注3)
 そうして書かれた批評からは、作品単体から感取できるものとは別種の感興があり、それが読者にとっての批評の第一の価値ということになっている。そしてそれが個人的な価値にとどまらずに、一
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