荒地にて2/徐 悠史郎
なにかすっきりしない中途半端な結果を招く可能性が高くなる。もちろんこういった中途半端な領域をうまく切り盛りしながら面白い文章を書くということも可能ではあるだろう。雑誌社の出版物などで、その本を買わせるように仕向けるタイプの<評>などは、そういった方法や文体を意図的に択んでいると思われる。(オンライン環境で取り交わされる<レス>については、ここでは言及を省く。)
話が少し流れたが、言いたいのは、一篇の詩に「愛」的に、「ほんとう」に関わったときの純粋な感動や感慨を、あらためて別の文字にうつしかえて見せるという行為には、ある種下品な衝動が絡んでいるように思えてならないということだ。このお品のない
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