労働/攝津正
ともなかった。後に攝津のブログにコメントしたこりんという人物が、我々は支援する側ではない、支援される側だと書いたことに、攝津は苦々しさを覚えたが、その理屈の正当性を認めざるを得なかった。攝津自身が人助けなど出来る器ではなかった。攝津は自分で自分を助けるだけで精一杯、それすら覚束ないといった有様で生きていた。みっともなかった。だが、そのみっともなさに開き直ってもいた。
攝津はそれ迄働いたことが全くないわけではなかった。しかし、二回働いたいずれも、一日四時間のパートタイマーであり、しかも二年しか続かなかった。攝津は月収が十万円を越えたことが無かった。しかし、借金返済と住宅ローン返済の為、纏まっ
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