労働/攝津正
ルのやりとりに疲れて退会した会員は山程居た。だったら、もう少し寛げる、顔の見えるコミュニケーションの方法を採用したら、NAMも続いたのではなかろうか。例えば、Skypeの会議通話などはどうか。攝津は、NAMは死んだ、と口汚く罵りつつも、NAMへの郷愁は棄てていない、棄てられないのだった。攝津はNAMで多くの友を得、解散と共に失った。
攝津はフリーター労組という労働組合に入っていた。入った動機は安里健=徳田ミゲルというプロレタリア詩人が創設者だったのだが、彼と友人だったから、そしてフリーターになったからだった。フリーター労組に入った頃は攝津は、個別指導塾で事務の仕事をしていた。事務員といって
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