阿修羅の悲しみ/es
える雄に見えた。たった一つの卵子と一つになりたくて、必死に入り口を求める三億の精子たちにも見えかけたが、それは妄想であった。受精は一匹だけでも成就するが、ここでは誰一人救われない。一日何千人の観賞客に対して阿修羅は一人。観賞客は一度きりの自慰行為で満足し、阿修羅は何千人の自慰行為を受け入れなければならない。つまりぶっかけられなければならない。何千人にただ観賞され、じろじろ見られ、もういいや、よし帰ろと衆生に見過ごされる阿修羅の気持ちは如何なるものか。彼は動物園の猿や郭の女郎だと知って胸が痛んだ。そうか、あの阿修羅の悲しみの表情とは、観賞用のモノとしか認められない虚しさと孤独感からであったか。それに
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