阿修羅の悲しみ/es
 
れに気付くともはや堂内に居られなかった。早く帰りたかった。そこに安心は無かった。過ぎ去る時間から来る虚しさだけが残った。
 端から分かっていたが、これはただの芸術観賞に過ぎない。像はあくまで像であって、本物ではない。人間が求めて得られる世界に真実はない。お金や努力を払えば得られる世界は結局虚無である。そこに流れる時間は過ぎ去っていく。一瞬たりとも止まらない。真実は見えない、聞こえない、法真真如の中にあるのだから、形あるものとして表現したらもう嘘だ。あの仏像たちは観察の対象としての意味しかなく、彼らは私の苦悩を共にはしてくれない。参拝客はひっきりなしに手を合わすが、私には出来ない。
 流れ去っていく時間に喜びを見出した気になっている群毛たち。それでは駄目だと分かっていながらも、本物をとらえる勇気も縁もない。何時間待っても彼らは救われない。
 順列中にいた赤子の顔だけが消えては浮かぶ。

                         二〇〇九年一一月六日

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