ある戦争体験者と話をしながら/北村 守通
たりといった)それを思わずにはいられない。「食える」という喜びは確かに存在しているのだが、それとは別の喜びの存在も感じずにはいられないのである。
勿論、その対象物がどれだけ自分自身に近いか?という点も無視できない。基本的に同族に手をかける、というのはおいそれとできることではない。(それでも自然界には『共食い』という自体も起こりえるのだが)よほど充分な引き金が必要となる。また、物理的な問題もある。相手を直接刺すと、その肉質が金属を介して伝わってくる。けれども、ある程度の距離をとって、銃撃によって相手をしとめる場合、相手の肉質はこちらに伝わってくることはない。むしろ、まったく突然、自分自身のまわり
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