孤独な感受性/佐藤
 
い。
 例えば、私たちは他の生物を殺して、その肉塊を食らうことで生きている。自分としては生命を奪うのは嫌だ。しかし、食べなければ自分は死んでしまう。自分が死んだら自分の周りの人は悲しむ。自分は死ぬわけにはいかない。だから、その生物を殺し、食らい、生きよう。この過程が、「決断する」「答えを出す」ということである。
 しかし、今はレストランや缶詰などの「媒介」の存在によって、「今まさに生物を殺して食っている」と言う自覚を伴わずに食べている者が多い。最初から「決断」があるのだ。いや、彼らにとってそれは既に決断ではない。それは、記号化、単純化された社会の中で、ただ何も考えないようにしているだけだ。

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