孤独な感受性/佐藤
 

 そのことをよく理解し、さまざまな論理的破綻を耐え忍んで責任を果たしていくことが、『物事の境界に立ち竦む』姿勢である。それは、決して安易に記号化し、二項対立化という表面的な構図を立てることによって責任を逃れ、自分や相手を偽り、単純化することで解決しようとすることではない。


 法律は言葉で人の刑罰を宣告し、それを執行する。その際、言葉とは「決断」である。
生きている限り、私たちは「決断」をし続けなければいけない。しかし忘れてはいけないのは、「決断」とは初めからあるものではなく、「思案」あってこその「決断」だということだ。単純に、答えが初めからあるわけではない。そもそも答えなどはない。
[次のページ]
戻る   Point(4)