孤独な感受性/佐藤
間接的な描写だ。
例えば川端康成の「雪国」。
「トンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
この文章は、直接的な説明を排除している。「直接的な説明を排除する」と言うことは、すなわち「言語の論理性を無視する」と言うことだ。そして、この描写は見事に、論理という束縛から抜け出した、ありのままのイメージとして伝わってくるのだ。
しかしこういう表現は主観的で、一般的ではない。一般的な文章として求められているのは、直接的な説明に終始する文章である。自分の基準ではなく、周りの基準にあわせると言う意味では、やはり私たちは相対的な発想を強制され、そして、相対的なものの見方をして周りと強調し
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