表象と表現、能動と受動、行為における偶然性/チャオ
 
アルバム「Q」の一曲目「センターオブユニバース」
彼らは汚れた自分を受け入れ、不純である自分を歌う。奇麗事を願うなら、汚いままでも願えばいいのだ。彼らは、彼らの不純によって磨かれた純粋を手にする。
そして、POPミュージックは「純粋」を手にすることを認められたのだ。

純粋な音楽好きは大塚愛を嫌う人が多い。だから、きっと、本好きも「世界の中心で愛を叫ぶ」を嫌う人が多いだろう。だが、大塚愛が街中で流れれば流れるほど、僕の好きなものとともに大塚愛はあるのだ。次第に僕は大塚愛を好きになる。音楽が好きなわけじゃない。大塚愛の周辺にある僕のかけらが好きなのだ。
POPであるということはそういうこと
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